こんにちわ、そして、こんばんわ(⊙ꇴ⊙)
いつもの如く、お久しぶりなのです。
手術も無事成功し指の痺れも肩甲骨の鈍痛もなくなり、なぜだか分からないけれど腰痛もなくなり『年齢なのかなぁ〜(´·×·`)』って、思っていた尿もれも治ってしまってビックリです。
プラス日が経つにつれて腸内環境が良くなって今まで、軟便すぎるほど軟便だったのが(◞‸◟ㆀ)
なんて素晴らしいんでしょう♪しっかりしたモノが!?ありがたいのです。
入院から帰ってきたら病院の中は一定の温度なので、すっかり秋風も冷たく、それでも
「シャバだあーーーーーーーーヽ(´ー`)ノ」
と、車の中で叫んでおりました。
実のところ退院は10月30日だったんですが、いろいろあり(※いろいろは、話の中で書いていきます。)2週間の入院が10日間で退院させてもらったんですよ。
私にとっては元氣になっていたので病院は退屈だし、ベットでひたすらYouTubeやamazon musicを見るか聞くか本読むか編み物するかを繰り返していたので、絶対安静ということで早めの退院ができて今は、首を支えていたカラーも取れて車の運転もできるようになり快適です。
ということで、いろんな経験をしてきたので思い出ということで、ここに記載していこうと思うφ(゚-゚=)
生々しい傷口の写真とかもあるので、ここからそう言った画像が苦手な方は見ないでくれるとありがたいです。
頚椎症とは
頚椎症とは、首の骨である頸椎の加齢による変形や靭帯(じんたい)の硬化などが原因で、神経根や脊髄が圧迫されて痛みやしびれなどの症状が現れる病気。
私は、頚椎症性神経根症(けいついしょうせいしんけいこんしょう)は、になり頚椎の変性(椎間板ヘルニア、骨棘形成など)により、椎間孔の狭窄が生じ、神経根が圧迫され、主に片側に痛みやしびれが生じる疾患でした。
若い頃は椎間板は、みずみずしく弾力もありますが「加齢」によって、水分が減少しそのみずみずしさが失われ弾力も失われ結果、椎間板が破裂し外に飛び出してしまう。
私は、先生に仕事の内容など聞かれ『ストレートネックでもなく、重いものを持ちすぎて負荷がかかったのでは』とのことでしたが、首に負荷をかけ続ける原因は、それだけではなく長時間上を向いていたり、下を向いていたりスマートフォン、タブレットの使いすぎだったり、よくない姿勢でのデスクワークで発症する方もいるそうです。
私は、第五頚椎、第六頚椎の間、第六頚椎、第七頚椎の間がぶちゅと潰れて神経を圧迫し右の肩甲骨の鈍痛と指5本の痺れと、腕を上げた状態を維持できなくなっていたんですね。
そんなんで指も上手く使えず縫い物や編み物も休み休みの休むが長くなっていたりもしていて、神経を圧迫されるって、こんなことになってしまうんだなって2度と潰したくないと心に誓うほど2年間の鈍痛と痺れがなくなった今思うのです。
主な症状
頚椎ヘルニアの主な症状は、以下になります。
- 首や肩、背中に痛みが続いている。
- 肩や首のコリが続いている。
- 腕が重だるさを感じている。
- 手や指が痺れている。
- 手に力がはいりにくい。
- 足がふらつくようになった。
- 尿や便はが間に合わなくなった。
わぁ〜お(゚д゚lll)全部、当てはまっているのです。もし、複数当てはまっているのであれば椎間板ヘルニアの可能性もあるのでMRIのある病院の受診をお勧めします。
なんでMIRの病院と思うと思うのですが私自身が、いろんな病院には言ったものの田舎なので、なかなかMRIのある病院に辿り着けず知識もなかったのでレントゲン、CT止まり。
数々の病院でヘルニアの診断をされず。薬のみの対応。リハビリ対応。のみだったんです。
レントゲンやCTでは神経まで診ることができないそうなんです。そこでMRIのある今回の病院を紹介してもらい『あら〜つぶれてるね。』っと、症状が二年も経ってしまっていたので手術になったのです。
早期発見は『保存療法』で治ることも
初期症状は、痛みや筋肉のコリ症状なので寝違いのような感覚ですが、1週間以上その痛みやコリ症状が続く場合は頚椎ヘルニアの場合もあるので医師に相談していただき軽度のヘルニアであれば、リハイビリステーションや物理療法により血流の改善をおこなったり、椎間板を安静にさせることで徐々に痛みや痺れが治ることもあるようです。
強い痛みや痺れの場合は、椎間カラーや痛み止めを服用しながら治療し椎間板が元に戻るように促していくこともできるそうです。
私のように神経の圧迫が深刻な場合は手術となりますが、できれば切ること避けたいものです。なんせ、手術3日間は正直、地獄だったので…
手術前日と手術後3日間の地獄
これを書くと怖いと思う方もいると思うのですが、ここは正直に書かせていただきます(^-^;
手術前日に入院し手術前からの点滴の用意として前もって点滴の針を入れます。今の針って刺すときは硬い針だけれど、その針の中に柔らかい針が入っているので昔のように手を動かせないなんてこともなくラクに過ごせました。
上記の写真は、手術の日の朝なので既に点滴をされています。
こちらは術手後、次の日のお昼までは歩くこともできず寝たきりなるので、その際に足を圧迫し血栓を作らないようにするための医療器具になります。
例えでいうなら、足のエアーマッサンジャー加圧マッサージ機のようなものです。これを1日半間24時間付け続け、その間は膀胱に管も入っているので変な違和感も感じながら過ごします。一番の違和感は膀胱から管を抜く時…ゾワワ〜〜〜: (((;”°;ω°;)):ってなります。
こちらのタンカーにパンツ一枚で自分で乗り込みます(笑)
パンツ一枚で、そのまま移動はしないですよ(;´∀`)
一応、体の上に衣服をかけてくれて手術室へ行き、手術前に手術に関わる先生がきて『手術に入る時に聞きたい音楽はありますか?』と聞かれました。
麻酔で眠る前に緊張感を解す目的で、とりあえずリラクゼーションの音楽でお願いします。と、伝えておたのでエステで流れているような癒し音楽をチョイスしてくれていました。
手術台に移動するのも自分で移動しましたが手術後は皆んなで、この体を移動してくれたことには申し訳なさを感じてなりませんでした(;▽;)
麻酔でダラッとした体を移動するって、ものすごく大変なことなのですよ。それも痩せてるならまだしも太っているので心から、すいませんとありがとうございますです。
全身麻酔を体に入れられるまでは、麻酔科の先生然り看護師さん皆さん楽しい話をしてくれたりと終始、和やかな時間が流れ麻酔科の先生が『そろそろ眠りましょうか。少しずつ薬が入っていきますね。数秒で眠って起きたら手術が終わってますよ。』と言われ
ホント一瞬だった。気づいたら朦朧としながら夫が居て『両親に成功したよ。って伝えておいて』と言った記憶が…
写真は術後の次の日になり点滴三昧と心電図がついている状態です。手は使えるので早速、携帯で音楽を聴いている姿です(๏㉨๏)
大人しくしてろよって話ですが、手術後は次の日のお昼まで、ご飯抜きは苦痛は感じなかったけれど水も飲めないので、それはキツかったぁ…音楽でも聴いて心ここに在らず状態を保っている状況です。
人間、1日半水が飲めないって、こんなに辛いものなんだって思ったけれど水が飲めるようになっても全身麻酔で管を肺まで通しているのと、前首を切って食道や気管を避けて手術を行うので食道の弁がうまく働かず、すぐに気管に入ろうとするのでゴクゴク水を飲むのは不可能でした。
食事が取れるようになっても、同じ状態なので少量口に運んで。よく噛んで飲み込む決意をしてから飲み込むので食事に40分。
水も一度、口の中でコロコロ転がして『飲むぞ』っと決めて飲まないと、むせる状態が退院してからも、しばらく続き…すぐに、むせて死にそうな気分になってました。
人生こんな立て続けに、むせることはもぅないようにしたい˭̡̞(◞⁎˃ᆺ˂)◞₎₎=͟͟͞͞˳˚॰°ₒ৹๐
後何が辛いって体を動かせないので身体中が痛いんです。とにかく、寝返りをうとうとすると身体中と首が痛くて寝返れないo(╥﹏╥)o
痰や唾も上手く飲み込めず気管に入るとゲホゲホ…どうしたらいいのか分からず痰を吸い出す下の写真の機械で痰をとってもらうように頼んでみたら
「気管が腫れているので上手く管が入っていかないので取れないですね。」と言われ…
まぢかぁ˚‧º·(˚ ˃̣̣̥⌓˂̣̣̥ )‧º·˚
助けてくれーって心の中で叫んでおりました。
そんな地獄な状況も3日間、5日目になったら抗生剤の点滴も終わり血抜きの管も取れた状態が、こんな感じ
血抜きの管の部分は、ホチキスでバンバンと銃のように撃たれ、手術の切り傷は体に溶けてなくなる糸なので上からテープを貼られ抜糸なしというのが、ありがたい。
ホチキスの抜糸の時も痛みはなかったです。サクサクっと取ってくれました。
早期退院になったのは
手術前、手術後1週間は個室に入院していたんだけれど、特に個室を選択していたわけではないので8日目から一般病棟に移り、私が入院した病院は大きい病院ではなかったのとお年寄りしか入院していなかったというのもあり昼夜構わず、おしめの取り替えで耳の遠い方に
「○○さ〜〜〜ん、これから、おしめ取り替えますねぇ〜」
っと耳の遠い方なので、大声が響き渡るわけです。
日中は、叫んでいる人、怒って怒鳴っている人、徘徊して窓に向かって話している人。
仕方ないと思っていても夜も寝られない。昼もなられない。
これは、体がラクになってきても精神的に辛いと思い看護師さんに相談。
でも、病棟はパンパンどこにも移すこともできず。婦長さんも『そうですよねぇ…さすがに寝られないですよね。先生に相談してみますね。』ということで先生も『二箇所手術しているから退院させたくないんだけど寝れないのもわかるから絶対、安静。家事炊事。外に出ることも禁止で退院してもいいよ。』と10日間で退院できたのです。
絶対安静にするだけで病院から解放できるなら、そんなありがたいことはない。ということで家に帰ってこれたのです。
頚椎カラーの肩こり術後は良好
手術の箇所が一箇所であれば2週間の頚椎カラー、二箇所手術している私は1ヶ月カラーを24時間着けて過ごしていて、これがまた四六時中つけているので肩こりが酷い。
あまりにも痛いので痛み止めの湿布を貼って過ごしていましたが、貼りすぎると今度は皮膚が剥がれてきて痛い…そんなことを繰り返しながら1ヶ月やっとカラーを取り外すことができ病院にてレントゲン写真です。
赤い丸で囲んでいる部分に人工骨が入っています。この人工骨に骨が集まるように薬を入れているそうです。一年かけて骨になっていき強化されていくそうです。
左が術前、赤丸の部分が狭ばっているのが分かると思います。術後は、つぶれた部分に人工骨が入り広くなり、潰れて神経を刺していた部分を除去し右の幅とバランスを取るように左も削って中赤丸部分も同じ幅にしてもらい正常な状態に戻りましたᕙ(⇀‸↼‶)ᕗ
術後すぐに、痺れも鈍痛も無くなったことに幸せを感じつつも地獄の三日間ではありましたが今は、2年間のあの痛みと痺れから解放されたこと先生に感謝しかありません。
現在の傷口は、こんな感じ
まだまだ、傷のようになっていますが綺麗なもんです。まだ、首のつっぱり感や変に首を傾げたり、振り向いたりすると『イデっΣ”( ‘O◁O’ )』となりますが体がラクって、こんなに素晴らしいことだったのかと思うばかりです。
傷跡はこのまま、おばあちゃんになるだけなので、そのうちシワなのか傷なのか分からなくなるだけです(笑)
今回の体験を通して
それにしても、こんな体験も早々できないと思います。
いや…しなくていい体験なんだとも思うけれど経験した今は、リアルな医療の現場を改めて見ることができて良かったとも思う。
看護師さんは日本人の方だったけれどケア・スタッフは、ほぼ他国の人たち。日本で仕事をするのも、それも医療現場で大変だろうなって皆さん、とても親切な方ばっかりだったし看護師さんも日中の担当人数は13名。夜は30名を診て回る。ナースコールは鳴り止まない状態。
夜中。寝られないので起きてナース室を覗いてみたら、常に呼ばれているので不在状態。これは大変な仕事です。
なのに、イライラする様子もなく常に笑顔で接してくれる精神がナース=天使と例えられてもおかしくないよな。って思ってました。看護師だから当たり前は、当たり前ではないです。何事も当たり前なんてないと思った方が良いと思う。
私には、絶対にできない仕事。
私を担当してくれた担当医、サブ担当医さんは2人ともコロナワクチンは打っておらず。奇跡の出会いだなって感じた。
術後5日で、私は抗生剤の点滴を終えることができたけれどサブ担当医さんに『○○さんは、ワクチン打ってないから白血球の下がりも早いね。打ってると感染症やカビが出たりして点滴を終わらすことができない人も多いから。』って言われたけれど、現場で働いているお医者さんや看護師さんは、患者さんが、どんな状況になっても常に状況を把握しながら動いていること。
コロナワクチン後は、イレギュラーが多かったと聞いていたので、そのイレギュラーなことにも対応していかなければならない現場は、私の想像を遥かに超えるモノだと思う。
薬の全てに言えることだけれど薬は良い面もあるけれど、それはあくまで私のように手術をしなければならなとか、血糖値が爆上がりして、それを一時的に下げなければならないなど一時的にキツイ薬を打つことに限り、健康な体ましてや健康な乳児に予防医学として薬やワクチンは確実に体の免疫を落とすものだと改めて思った。
医師ではないんだから下手なこと言うな。
と言われそうだけど確かに、聞きたくない人は自分を信じて自分の進みたい道に進んだらいいと思う。
私自身19歳の時、結婚して結婚してから元夫に『お前の頭オカシイから』っと言われ精神科に連れていかれ、そこから約10年間、薬漬けだった時代があった。
確かに子供の頃から母にも『アンタは世界を逆さまにみるね。』と言われたり『変わってるモノの考え方をするよね。』と言われていたので生まれながら、この世界では私の考え方はオカシイのかもしれないと思っていたけど、今はSNSで私と似たような考え方、見かたの人に出会えてありがたい毎日。
あの頃は、精神科が無限に薬を渡していい時代だったので朝、昼、夜、寝る前で50錠飲んでいた時は、完全に廃人になり『薬を減らしたい。』と言っても『減らしたら、もっと症状がひどくなりますよ。』と言われ減らしてくれる時代でもなく、薬で手が震えて声が震えてまともに箸を持つこともできなかった。
私の両親が見かねて私を無理やり元夫から引き離し離婚になったけれど、ずっと『お前は、俺がないと生きていけないんだぞ。』『お前みたいな女、俺ぐらいしか相手にできないんだ。』『俺から離れたら、お前は一生hひとりなんだぞ。』と2年間、ある意味で洗脳のような感じで過ごしていたので、引き離された時には酷く疲弊し、さらに薬におんぶに抱っこになっていった結果。
今回、二箇所も頚椎板が潰れたのは、その頃の大量の薬で骨が弱くなっってしまったこともあるという。
30歳で断薬が完了してからは一切、向精神薬は飲んでいない。
断薬ができる先生で『内海 聡先生』という先生がいることは、もっと後で知ることになり、その頃ろには知らず、とにかく心と薬の帳尻を併せながら止めていったのですが、この話になると長くなるので、また、もし書く機会があれば書こうかな。
ということで、よく言われる。
クスリは反対から読むとリスク。
その通りだと思う。薬を断薬しながら薬のことを調べたら、必ず副作用っていうものがついてくる。試しに本屋さんで[お薬事典]っていうのを見てみるといいよ。効果と一緒にたくさんの副作用が書かれているから。
向精神薬で[ドグマチール]という薬があって、なぜか妊娠していないのに乳が出るようになって疑問に思って[お薬事典]を購入して読んでいるうちに断薬を決めた本でもあります。
飲む飲まないは自由だけど予防としてコロナワクチン然り、今までのワクチンのことだったり、飲んでいるサプリメント含めて全て一度見直してみて、自分の頭で考えてみるというのも大切なことだと私は思う。
未だにワクチンに疑問を持つ人たちのことをメディアは陰謀論者と謳うけれど何かあった時、メディアが助けてくれるわけぢゃない。自分を助けてあげられるのは自分でしかないんだよね。
いろんな失敗ばかりの人生を繰り返してきた今の私の思うことです。
そして、食事に目を向けて見ること。今は、物価高騰で逆に手づくりも増えてきているので自炊に関しては良い傾向で、予防で薬を体に入れることって病院に行ったり薬局でサプリ買って飲んでって手軽って言えば手軽だけれど、それって本当に本当に体にいいものなのかな。
何十年もして私のように、何かの拍子に体の内側が弱くなる部分が早まっていることだってある。
それは、向精神薬を50錠も飲んでいたからだろ。って言われそうだけど、50錠だろうが1錠だろうが薬は薬であって毎日飲んで良いのか?と…体が排出できない量は少しづつ蓄積もされる。それに、毒素を排出できる体であるのか。ということだってある。排出できないほど内臓が弱っていれば蓄積も多くなるだろうし。
日本人9割近く打ったコロナワクチンだって今になって死亡者のこと、後遺症で苦しんでいる人たちが鰻登りのように出てきて、そこで後悔しても始まらないからこそ、そう今になって私が、あの頃に飲んでいた向精神薬に後悔しても始まらないように…
いつからでも今からでもできるのは毎日の食事のことを考えてみること。
体は毒を排出してくれるようにできているからこそ、毒を排出できる体を作ってあげる必要もある。
自分の心と向き合いながら食事と暮らしを丁寧に暮らしてみる。私は骨は、弱くなってしまっているけど入院中に何回も血液検査をして何も異常は出なかったのは、いろんなことを経て最終的に食事を見直して、できることをコツコツと10年前は浅い知識で4年前からガッチリと見直していった結果を見れてよかった。
毎日、口にする食べ物は大切で食事を大切にすると生き方も変わってくるし考え方も行動も変わってくる。
だからって無理して食事を変更する必要はないと思ってるし予防医学のワクチンや薬、サプリメントを止めるよう強制は私はしない。
まぁ〜私は、こんなカタチで現れたよ。って話で最終的な結果が、良いカタチとして現れなかったとしても誰かが背をってくれるものではなく自分自身が向き合うことになることだけの話という話です。
けれど万が一、体にいろんな症状が出てきても、今までの生きてきて口にしたモノ、体に入れたモノ心の感情の在り方、自分自身の全てを受け止められる良いチャンスに変えることができるので、どちらにしたって何があったって全て良しってことでした。
本日も最後まで読んでくれて、ありがとうございます。
また、よかったらブログでお会いしましょう٩(๑´3`๑)۶
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